マジメナハナシ


今、自室のレイアウト変更と大掃除をしてます。根本から、社会人始まってのこの4年間の物の整理とかして、かなり久々の規模です。まあきっかけはこないだ鍋に行った先輩の家がすごくシンプルで綺麗でうらやましかったからですが。


で、その過程で、就職活動の時のエントリーシートのかけらを発掘しました。皆さんには興味ないと思うけど、記録として書き残しておこうと思いますた。
言っとくけどエントリーシートなんで青いしクサイです。スルー推奨、さあいってみよー。



●私の職業観
私の人生の目標は勉強である、と書くと少し硬すぎるかもしれないのでもう少しやらわかく書くと「知りたいことを知り、学びたいことを学ぶことのできる環境に居続ける」ということである。幸いかどうかは知らないが、私には「物欲」「金欲」が比較的少ない。よって金銭的な面では自分が不自由なく暮らせる以上が手に入ればいいと思っていて、私が満たしたいものは好奇心であり精神欲だ。
では仕事はあくまでお金を稼ぐ手段であり、アフター5の(またはアフター60’の?)人生を楽しめばよいと考えているか、というとそうではない。なぜなら「働く」というほど深い「勉強」は無いと思っているからだ。学生として知らなかったことを教えてもらうこと、も楽しい。しかし職業人として、「教えてもらう」だけでは見えないことを体験し、自ら会得することはもっと楽しいのではないか、と想像ながらも考えているからだ。ここからまず自分の好奇心を刺激する職業につきたいと考える。しかし仕事として会社側からお金を頂く以上、何らかの具体的な貢献ができなければいけない。自分としても「私がそこにいること」が「他の人がそこにいること」よりも、「そのことをすること」が「他のことをすること」より価値のある、高い効果を生み出すものだと思えなければやりがいがない。
また、私は家族の中で最年少であり、小さいころ子供としては可愛がられたが、人間としては「ミソっかす」的な扱いを受けていた。それだけが原因でもないのだろうが「人に認められたい」と思う気持ちも強い。そのため「○○のことなら××(私の名)に任せておけば大丈夫」と思われるような仕事をする人になりたいと思う。
そして、最後に私が大切にするものは「憧れ」である。これは理由がなくてもかまわないと思うし、すりこみでもいいし、ミーハーな理由でもいい。「とにかく好き!!」というのは何よりも強い。小さいころから巨人戦ばかり見ていると自然と巨人ファンになってしまい、「巨人のためなら」と日本シリーズのチケットを取るために徹夜で並ぶような、そんな自分の情熱を無条件に掻き立てるもの。古臭いかもしれないが「この会社でなら」とか「この人の下でなら」と思う気持ちは職業の上でも大切にしたいと思っている。
以上が私の職業観であり、人生観なのである。


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あは。言い回しは変わるだろうけど、考えは今でもあんまし変わってないっす。もしかして成長してないのか?
自分の頭の悪さと努力不足が時々嫌になるけれど、今の職場にはまだ見たい世界が広がっている。だからもうちょっと頑張ってみようかな、と思うんだ。

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●私のやりたいことと、できることと、できないこと
<通訳にならなれる>
私はあまりクリエイティブでない。そして私は理系でもないので今すぐプログラミング等はできないし、それを身につけるのも効率が悪いだろう。でも数字は好きだ。
数字であらわされた文化と、生活で表された文化のコミュニケーションを可能にする媒体、それが通訳。通訳はもちろん「正確に」翻訳することが必要とされるけど、一方でいかに「自然に」「美しく」訳せるかも重要であり、そこが個性である。

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これはちょっとしたメモ書き。「やりたいこと」「やりたくないこと」×「得意なこと」「得意でないこと」マトリックスにしたとき、仕事はやりたくて得意なことであるのがベストだけど、人間の才能ってそんなに恵まれてない。でもせめてやりたいこと、か得意なこと、どちらかは満たしていたいし、なるべくやりたくて得意なものに近づける余地があるものがいいよね。ってなわけで、自分ができそうなのは「経済・金融」にからんでプロフェッショナルの言葉をかみくだいていく「通訳」的なことなんじゃないかなと。


そういえば、私がネットにはまりだしたのは就職活動がちょうど終わってからだから、この辺の記述って全くないね。もう5年も前の話。